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【連載漫画】おでこのメガネ

第3話「ラジャスのらじゃお」


原案・原作:石川英明 原作・作画:眞蔵修平

おでこのメガネ第3話



「もっともっと」はいつ満たされるのだろう?


ギーター(ヒンズー教の経典)の日本語訳の中で、激質という日本語を当てられているのがラジャスです。

ラジャスは

「もっともっと」「俺の手柄だ!」

という特徴を持っています。


ある意味、今の資本主義社会はとてもラジャス的な社会です。

もっともっと。

もっともっと経済成長を。
もっともっと成功を。
もっともっと豊かさを。

今のものでは満足せず、より挑戦し、より成長する、ということ。


これを、資源の限界のある物理的世界で行おうとすると、どうしても行き詰ります。。。

より多くを持とうにも、全世界の土地を制覇したとしたら、それ以上はもうありません。西の大国と、東の大国がそのラジャス性をそのまま拡大していけば、当然「争い」というものも生じます。

これが、ラジャスの特徴の一つです。


もう一つは「俺の手柄だ」ということ。

例えば、車の営業をしていて、車が一台売れた。もちろんそれは、その営業マンの手柄でしょう。

しかし、本当にその営業マン「だけの」手柄なのかというと、、とても難しい話になります。

車の設計をしたエンジニアがよい仕事をしたから?
車のデザインをしたデザイナーがよい仕事をしたから?
工場の職人が、ちゃんと車を組み立てたから?
それとも、CMの出来が良くてお客様は見に来られたのでしょうか?
パンフレットが分かりやすく作られていたから?
それとも・・・?

そう考えると、本当に無限とも言えるものに支えられたうえでの「自分の仕事」だということが感じられたりします。

ラジャス性は、ここでも争いを生じさせます。

「車が売れたのは、営業マンである俺の手柄だ」
「いえいえ、車をデザインしたデザイナーの私の手柄です」

このように主張し合えば、そこには争いが生じるものです。


【本当のところは、わからない】

これが、究極的な真理です。これは、どこでも通用する理論です(笑)

しかし、自分の頑張った結果だと認められたい、そのような気持ちは、誰しも持ち得るものだと思います。


「もっともっと」と望むことは悪いことなのか


「もっともっと」自体は、別に悪いことでありません。

”無限に深められる領域”はこの世界にありますから、その領域で「もっともっと」をやっていくことは、向上心を満たし、成長実感を感じさせてくれるものになるでしょう。


もっともっと丁寧に仕事をする。
もっともっと気持ちのいい挨拶をする。
もっともっと愛を込めて料理をする。

こういった方向への「もっともっと」は物理的限界にぶつかることもなく、争いを生じさせることもありません。


「自分が頑張って、成果を出す」と頑張ることも、別に悪いことではありません。

しかし「この成果が出たのは、自分だけの力なのか?」を問うと、自分がじつは無限の世界とつながっていることを感じます。


らじゃおの旅は、愛と感謝の旅路となる、のかもしれません。



[2018/02/28 公開]



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原作・作画:眞蔵修平


兵庫県生まれ。元数学教師。教育問題漫画家。

眞蔵修平 公式HP
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自らの教師経験や、教育関係者との繋がりを武器に、教育現場の裏側をリアルに描く。現在は、漫画を描きながら、教育系企業数社に所属し、教育現場を変えるためのイベントや署名活動に参画。

代表作:『静寂の音』


株式会社Co-ducation


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