Vol.22 心理的安全性を高めるためには
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今回のご相談内容
心理的安全性というキーワードを最近よく見かけるのですが、実際に、社内で「心理的安全性を高める」と言っても、何をしたらいいのかが分かりません。
具体的な事例などあればお願いします。
石川からのご回答
数年前にGoogleが「心理的安全性」と言い出してから、組織づくりの世界ではこのキーワードは本当によく見るようになりました。
ある外資系企業の研修でお邪魔した際にも「イギリス人の社長が、会社の心理的安全性を高めたいと言っている」という話を人事の方から聞きましたから、日本だけでなくグローバルで注目されているキーワードなのでしょう。
心理的安全性はまず会議の場に現れる
さて、ご質問に対してですが、
簡単に言ってしまうと、会議がうるさいくらいに活発な会社や部署であれば心理的安全性は高い方だと言えますし、「部長が発言するだけで、あとはシーンとしている」といった会議であれば、心理的安全性は低いと言えます。
会議を活性化する基本は、一人一人の意見を出すことと、議論することを分けることです。より具体的に言うと、議題に対して「自分の意見を付箋紙などに書き出す」「書き出したものを発表する」「全員分発表されてから議論する」と分けるだけで、変わってきます。
会議でフリーに議論をしようとすると、どうしても「稚拙な意見で怒られないだろうか」「自分の意見など聞いてもらえないのではないか」といった不安心理を持つ社員もいます。
「意見を書き出す」というステップを入れることで、この不安心理をかなり軽減することができます。「自分の意見を言ってもいいんだ」「自分の意見も尊重されるんだ」ということが体感できるようになってきます。
このことだけでも、職場の心理的安全性を高めていくことができます。
ヒエラルキーを持った組織の中での心理的安全性
出典:写真AC
心理的安全性が高いというのは、「会議でどんなことを言っても、一旦、許容される」と一人一人の社員が思えていることです。
しかし、会社組織は基本的にはヒエラルキー構造を持っていますから「上司の意に沿わないことは言えない」とか「上司と違う意見を言って、評価を下げられても困る」といった考えや不安をもつことは、ごく自然なことです。
そういう意味では、ヒエラルキー構造のなかでは、完全に心理的安全性を担保するということはできないと言ってもいいかもしれません。
しかし、ヒエラルキー構造を持っていても心理的安全性が高い組織もありますし、ヒエラルキー構造がゆえにヒエラルキー下位の人たちには心理的安全性がない組織もあります。それは、どんな違いがあるのでしょうか?
結論から言うと「会議の場での発言」と「評価」がしっかり切り分けられているということです。
会議で、部長はAがいいと言った。しかし部下はBがいいと言った。色々議論をしていった結果、結論としてはAになった。
このような状況があった場合に「あの部下は、会議中に私と違う意見を言った。私に反論した。だから評価をさげてしまおう」ということが起こる、少なくとも部下から評価の傾向としてそれが感じられてしまう、ということがあると、心理的安全性は下がっていってしまいます。
会議の中では、喧々諤々、肩書を超えて「意見」を出し合ってよい。出た結論には従う必要はあるが、出た結論と違う意見を議論中に出したからと言って評価が下がることはない。
このような認識が、社員の中にしっかりと根付いているようだと、その会社の心理的安全性は高い状態だと言えます。
稚拙な意見をどう取り扱うか
会議の場で「なにそんな馬鹿な意見を言ってるんだ」「なんて視野の狭い身勝手な意見だ。。。」「そもそも何を言いたいのかよく分からないぞ。。。」などと、腹が立ったり、辟易するような意見が出てくることもあるかと思います。
そのような場面で「バカなこと言うな!」とか「何を言いたいのか分からん!出直してこい!」などと返してしまうと、心理的安全性は下がってしまいます。「ああ、自分の意見は聞いてもらえないのだな」と解釈されてしまうからです。
こういう場合には、議論を通して「教える機会」とすることが良策です。「意見がAだというのは分かった。けれども、XやYやZという観点からも考えると、Aにはデメリットが多い。だからAを採用する可能性は低い」というような返し方をします。
そうすると、稚拙な意見を出したほうも「XやYやZという観点でも考えなきゃいけないことだったのか。勉強になったなぁ」ということになってきます。
もちろん時間は有限ですので、常に懇切丁寧に説明をしていられるわけでもありません。どうしても「その意見は検討に値しない。以上」で切り捨てなければいけない場面もあるでしょう。
しかし、できる限り丁寧に「教える機会」とした方が、部下の成長も早く、中長期的にみても組織の生産性を高めることができます。
そして「今の自分のレベルがどうであっても、一旦発言をすること自体は尊重されるだ」という認識が醸成され、組織全体の心理的安全性が高まっていくことになります。
アンガーマネジメントやEQトレーニング
出典:写真AC
議論をしていればどうしても、意見が割れることがあります。
自分はAがよいと言っているのに、相手はBがよいと言っていたら、自分を否定されたような気持ちになるかもしれませんし、それはあまり気持ちのいいものではありません。
ここで「なぜBがいいと考えるんだ?」と相手に尋ねたとします。
この時言葉遣いとして「Bがいいと思う理由を言ってみろ!」 「なんでBがいいだなんて思えるんだ??」といった言葉を選ぶこともできます。
「Bがいいと思う理由を、聞かせて欲しい」といった言葉を選ぶこともできます。
「自分には見えていないことがあるのかもしれない。Bがいいという視点から話をじっくり聞きたい」といった言葉を選ぶこともできます。
この言葉のチョイスによって、もちろん相手が話しやすいか、そのあとも冷静に議論を続けられるかは変わってきます。
また、例えば 「Bがいいと思う理由を、聞かせて欲しい」という言葉を使っていたとしても、その言葉に怒気を乗せているか、それとも落ち着いた雰囲気で話しているのか、それによっても、議論の活性度は変わってきます。
それはつまり、心理的安全性が違う、ということです。
自分の意見への反論などが出てきた場合に「その場合も、落ち着いた気持ちでいられる」かどうかは、大切な要素になります。
社長や部長といった役職者が、いわゆる「懐の深い」リーダーであるほど、会議の(ひいては職場の)心理的安全性は高くなりやすくなるわけです。だからこそ、管理職や経営陣に向けたアンガーマネジメントやEQトレーニングの研修などが、たくさん行われているわけですね。
心理的安全性は「甘え」ではない
心理的安全性を高めていきましょう、という話をすると「厳しさが減って、甘くなるのではないか」と懸念される方もいます。
確かに、なんでも「いいよ、いいよ」としていってしまっては、甘い組織になっていってしまうでしょう。
稚拙な意見が会議に出ても「うんうん、そうだね。大事だね。それでいこう」などとしていたら、それは心理的安全性が高いのではなくで、ただの規律のないだらしない組織になってしまいます。
前述したように、稚拙な意見でも、「意見を述べた」ということ自体は尊重されますが「意見の内容が稚拙である、ということについては丁寧に教える」ことが重要です。そうでなければ、本当にただ甘いだけになってしまいます。
また何かにリスクを取って挑戦する、ということを許容することも心理的安全性につながりますが、では「挑戦したけど、失敗しちゃった」というのを責めることもせず放置しておくのかと言うと、これも違います。
リスクを取って挑戦すれば、失敗することはありえます。但し、その場合「なぜ失敗したのか?どうすれば成功できるのか?」と経験から学習していくことは必須です。
上司が部下になにか挑戦させて、部下が失敗してしまった時に「うんうん、いいよいいよ。失敗することもあるさ」と流してしまうようでは、ただの甘い組織になってしまいます。
そうではなくて「そうか、失敗しちゃったか。じゃーなんで失敗したか、次やるならどうしたらいいか分析して報告してね」といった返し方をする必要があります。
今回のご質問に対する回答は以上となります。
いつも最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
[Vol.21 2020/01/28配信号、執筆:石川英明]