Vol.35 これまでの経営スタイルに行き詰まり感や限界を感じている(前編)

今回のご相談内容

これまで良いものとされてきた、もしくは当然とされてきたような経営の手法に対して、行き詰まり感や限界を感じるところがあります。

今まで上手くいっていたものが、何故うまくいかなくなってきたのでしょうか。また今後は、どういった経営スタイルが主軸になっていくのでしょうか。

        

石川からのご回答

これまで、企業経営は基本的に「利潤追求」「ヒエラルキー構造」で行う、という形で行われてきました。

このマネジメントのスタイルは、日本企業のみならず、世界中の企業の基本構造になっていました。社会の基本構造として資本主義を持っていて、その活動体としての企業の基本構造なわけですから、社会全体の基本構造にまでなっていたと言っても過言ではないと思います。

この「利潤追求」を「ヒエラルキー構造」で行うというカタチは、経済成長期においては、完璧ではないにしても、最善の一つだった。

だからこそこのカタチが、世界中で、この100年ほど採用されてきたのだと思います。
   

これまでの「経済成長期」の要素

「経済成長期」にはいくつかの要素があると考えられます。一つが、「人口」です。ある社会の単位(たとえば国)で、人口が増えるトレンドにある社会は「経済成長期」にあることが多いでしょう。

単純に、一次産業で考えれば分かりやすいわけですが、1日にご飯1合を食べる人が、1,000人いる社会であれば、1日1,000合の米の生産量が必要になります。それが、1000人が、2000人、3000人と増えていくのであれば、コメの生産量も1000合、2000合、3000合と増えていく必要があります。

コメの売買量がGDP換算されるのなら、GDPは増えることになります。

こういう局面において、例えばコメ農家が「もっと米を作って、もっと儲けよう!」ということは社会ニーズに適っています。
    

「経済成長期」に入りやすい社会の、もう一つの要素は「モノが足りない」ということです。例えば、100世帯に一軒しか洗濯機を持てない。そういう社会において、どの家庭でも洗濯機を持てるようにする。100世帯中100世帯とも、洗濯機を持てるようにする。

そういうニーズが社会にある場合は、「経済成長期」になりやすくなります。製造業が「もっと洗濯機を作って、もっと儲けよう!」ということは、社会ニーズに適っています。
    

このような経済成長期においては、「利潤追求」を「ヒエラルキー構造」で行う、ということは、とても合理的でした。

「もっと洗濯機を作って、もっと儲けよう!」という利潤の追求は、そのまま顧客、社会のニーズに沿っていて、お客様の幸せ、社会の幸せにつながっていて、生産者も、消費者も共に幸せなことでした。

自社が、利潤追求すべく頑張る。結果、お客様も、つまり社会もより豊かになるということでした。だから「利潤追求」と「社会の豊かさ」「幸せ」といったことがほとんど矛盾しませんでした。
   

その中で「ヒエラルキー構造」は、効率的でした。

経済成長期では「効率的に生産する」ことが重要です。まず「需要」があり、それに対して「生産計画」があり、その生産計画を順守して、生産していくこと。それがとても大切でした。その場合には「計画に従ってきっちり生産すること」が、働く人には求められます。

「今日は、気が乗らないから働きたくないな」とか「今日はちょっと別のことやってみたいな」とか、そんなワガママを言っていると、生産効率が下がってしまいます。生産ラインが平準化され、余計なコストがかからないようにして「より安く」市場に届けることができなくなってしまいます。

そのような時には「個性」とか「創造性」とかよりも「計画に対して従順に働く」ことが重要です。
   

「経済成長期」の先にある現在(平成・令和)の「経済成熟期」

社会には「経済成長期」ではない「経済成熟期」があります。社会全体が「経済成熟期」に入るのにはいくつかの要素があると考えられます。

一つは、既に出てきた「人口」です。出生率が2、もしくは2を切るようになると、人口の拡大局面は終わり、人口維持ないし人口減少のトレンドに入っていきます。

一次産業で考えると分かりやすいですが、年間1億杯のご飯が必要だったものが、9000万杯、8000万杯と必要性が減っていきます。当然、生産量も減っていきます。(1億杯作っても残るだけですし、作る労力が無駄ですから)

米の売買量がGDP換算されるのであれば、GDPは確実に減っていきます。
    

もう一つは「モノが充足している」という状態です。洗濯機もテレビも冷蔵庫も自家用車も、全部どの家にもある、という状態です。

こうなると、基本的には「買い替え需要」しか起こらなくなります。となれば、当然ながら、経済成長はほとんど見込めなくなります。

例えば、新車が300万円だとして、7年に一度買い替える。その際にはまた、7年後に300万円の新車に買い替える・・・となれば、これはもう「経済成長」とは呼べません。経済維持や経済循環という状態になります。

この状態が「経済成熟期」であると言えます。

日本社会でいうと、1975年頃に出生率が2を切るようになりました。つまり人口減少トレンドに入ったわけです。(その15年後くらいにバブル崩壊が起きたのは偶然ではないと考えています)
    

出典:写真AC

   

「モノが足りない」ということも非常に少なくなったと思います。

自家用車の所有率のデータなどを見てみると、一世帯一台ほどの平均保有台数になってから、保有台数はほぼ伸びていません。基本的に2台目、3台目と買っていくようなものではないのは明らかです。

日本の社会だけで見れば「自動車の必要となる生産台数は減っていく」ということになります。単価がもし同じなのであれば、GDP換算したときには、GDPが減っていくことになるでしょう。

それが自然なことなわけです。

必要がないものを作らないようになっても、誰も困りません。
   

何故、経営スタイルを変える必要性があるのか

こうした社会の状態のシフトがあったときに「利潤追求」を「ヒエラルキー構造」で行う、という経営のスタイルがシフトしないと、いろいろと問題が起きてきます。
   

1.仕事のやりがい

まず、一つには、労働者のやりがいが大きく低下していきます。

経済成長期では、自社の利潤追求が「世のため人のためになっている」ということを、それほど説明などしなくても、肌で感じられる部分が多かったと思います。

しかし、経済成熟期には、「この利潤追求は本当に社会の役に立つのだろうか?」「本当にこの金額儲けるために頑張る必要があるのか?」という感覚を持って当然の社会の状態になります。
   

経済成熟期では「競合」はまさに「争い相手」のように現れます。

向こうが儲かればこっちの取り分が減ってしまう、というパイの奪い合いという面が強くなってきます。(経済成長期では、その面はあっても分母の増大があるため、両方とも成長できる、というところがありました)

自分たちが頑張ることは、競合を潰すことにつながるのかもしれない。。。

頑張ってみても、お客さんに以前ほど喜ばれない。

売上を増やすためには、新車の買い替え年数を短くしてもらうしかないが、そのような押し売りは、自分が客だったらされたくない・・・

されたくないことまでして、売上を伸ばさないといけないのか・・・・。

環境問題もある中で、そもそも生産台数を増やそうとすること自体が、社会にとってよいことなのだろうか・・・。
   

そのような「仕事に対するやりがいの難しさ」が経済成熟期では出てきます。
   

2.効率化の痛み

経済成熟期で、さらに問題になるのは「効率化」です。より具体的に言うと「AIやロボットによる労働の減少」です。

自社の利潤を追求すれば、当然効率化したい。人件費が年間1億円かかっている仕事が、ロボット購入費1億円で済むのなら、ロボットを購入しよう、ということになります。

経済成長期では「効率化の痛み」は、露呈しにくいところがあります。分母全体が増えている中で、労働量も増え「人が足りない」というトレンドの方が強ければ、効率化の痛みはほとんど感じないですみます。

しかし、分母が増えないなかで効率化を進めていけば、当然失業が増えていくことになります。そうなると経営者は「自社の利潤か、雇用の維持か」というテーマに直面しなければいけないことになります。これは、経済成長期ではそれほど考える必要がないことでした。
   

「リストラ」という言葉が流行りましたが、これは日本が経済成熟期に入り「自社の利潤か、雇用の維持か」ということが、社会全体として向き合う必要が出てきたタイミングで、現れたキーワードだったのだろうと思います。

経済成長期では、自社の利潤を追求することが、自社の社員の幸福の増進につながっている・・・と感じやすったものが、経済成熟期においては「自社の利潤か?既存社員の幸福か?」を、問いとして持たなければならくなってしまうのです。
   

3.ヒエラルキー構造によって奪われる創造性

出典:写真AC

   

もう一つ「ヒエラルキー構造」にも問題が大きくなってきます。経済成熟期における「ビジネス」に必要なことは高級化、希少化、全く新しい需要の創造、といったことになります。

つまり「ご飯は毎日食べれている」となったら「もっともっとおいしいお米作れますよ」「ちょっと高いですけど」ということをする。それが高級化や希少化ですね。「うちは、量産車にはない、とても個性的なデザインの車ですよ」といったことも希少化の一つかと思います。

全く新しい需要の創造ということでいくと、例えばメルカリなどがそれにあたるかもしれません。今まで社会に(ほとんど)なかった「個人同士で、大規模に、売買するマーケットあったら便利でしょう?」ということは、潜在ニーズはあったかもしれませんが、顕在的にはなかった。そこの需要を創造した、というように言えるかもしれません。

そしてこの高級化、希少化、新しいことの創造といったことは「ヒエラルキー構造」は非常に不向きです。
   

ヒエラルキー構造は、まず需要があり、生産計画を作ることができ、その生産計画に「従って動く」ときに、最適な組織構造です。一人一人のアイデアや創造性を育んだり、発揮させたりすることに向いていません。

「それ本当に売れるの?」「売れなかったときに責任取れるの?」と、ヒエラルキー構造の中の責任者は必ず確認をします。

そりゃそうです、自分が「それ売れるのか?」と疑問に思っているものを、自分の責任において出すことはできないからです。だから、ヒエラルキー構造は必ず「管理職」や「経営者」がボトルネックになります。

勿論、そこを打破するリーダーシップを持った人もいたりはします。「よし、俺は分からないけど、やってみろ!」と言える人です。しかし、それはそのリーダーの特異性によるものであって、ヒエラルキー構造を、単に属人的にカバーしているに過ぎません。
 

ヒエラルキー構造というものは、基本的には、責任者から「それ本当に大丈夫なの?」と確認が入り、責任者が「納得した」とならなければ、部下のアイデアなどは日の目を見ないという構造になっているわけです。

こうなると、経済成熟期、そしてVUCAとも言われる時代において重要な「一人一人の創造性」といったことを高めるのには全くもって構造として不向き、ということになります。 

良い悪いではなく「社会の状態」に対して「適した組織構造」と「適していない組織構造」があるということです。社会の状態が変われば、適した組織体も変わるというのは、ある意味当然と言えば当然のことだろうと思います。

やりがいも得にくく、創造性も発揮しにくい企業経営・・・・だとしたら、それは変化していくとよいだろうと思います。
    

どのような「企業経営のシフト」が求められるのか

では、どのような「会社経営のシフト」が求められるのでしょうか?

近年「Teal組織」がベストセラーになったり、ホラクラシーが注目されたり、No Ratingという人事制度が出てきたり・・・・ヒエラルキー構造ではない経営についての研究と実践が多く発信されるようになってきました。これは、ここまで見てきたことを踏まえれば、自然な事だろうと思います。

「経済成長期」に適していた企業のマネジメントが「経済成熟期」には向いていないのだとしたら、働いている人たちが行き詰まりを感じるのも当然のことです。行き詰まりを感じていれば「何かもっといい方法があるはずじゃないか」と探し始めることになります。

その結果として、例えば「Teal組織」がとても売れた・・・・という現象につながってきたと、私は解釈しています。
   

さて、「経済成熟期」に適した、企業マネジメントの新しいカタチとは、どんなものでしょうか?

・・・まず前提として「我々は、グローバルの成長市場で勝負する。だから、経済成長期に適した企業マジメントを活用する」ということも選択肢としてはあり得るということです。

また、これは感覚的にですが「経済成熟期に適した企業マネジメント」というのは、そもそも多様なスタイルになる、と予測されます。個性豊かな、マネジメントスタイルがたくさん出てくる、というイメージです。そして「社員」は、「あ、このマネジメントスタイル、自分好きだな、合ってるな」と思うところに入社する・・・というような要素が強くなってくるのではないかと思います。 
   

というのは「利潤追求」という一つのゴールに向かっては「これが最適な組織構造だ」ということがある程度一つの解に集約されていったのは当然だと思います。

しかしそもそも「企業経営のゴールの置き方」にも多様性が出てくるとしたら、マネジメントスタイルもまた多様性に溢れたものになる・・・ということは容易に想像されます。

ですので、私から提示できるマネジメントスタイルは「今後の新しいマネジメントスタイルの一つの選択肢」に過ぎません。しかし「あ、そういうマネジメントスタイルいいな」と思う方にとっては、参考にしていただけるのではないかと思います。 

・・・長くなってしまったので、具体的なスタイルについてはまた次回以降にお伝えしたいと思います。
   

いつも最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。

[Vol.35 2020/05/13配信号、執筆:石川英明]