組織開発 用語辞典:ダイアログ(対話)

ダイアログ(Dialogue/Dialog)とは

ダイアログ(Dialogue)は、語源的には、ラテン語で「ディア(Dia)+ロゴス(Logue)」。ディア(Dia)が「流れる」、ロゴス(Logue)が「意味」を表しています。このことから「意味が流れていく」といったイメージをダイアログに対して持っています。日本語訳は、対話。

話し合いのカタチには、ディスカッション、ディベート、雑談などいろいろありますが、ダイアログ(対話)はディスカッション(Discussion/議論)とよく比較されます。それぞれの特徴は以下のとおりです。
    

ディスカッションとダイアログの違い

    

ディスカッションは、特定の問題について話し合い、問題解決の意思決定をすること(結論を導くこと)を目的としているのに対し、ダイアログは明確な結論を時間内に出すことは目的にしていません。

また、ディスカッションでは、正当性や妥当性を主張したり、意見の違いを際立たせることが重要視されますが、ダイアログでは、相手の話の善し悪しをジャッジするように聞くのではなく、パタンやつながりに注目したり、それぞれの背景を深堀り、場にいる全員で探求する姿勢を大事にします。

ダイアログにおいて、「テーマ」はあくまで「入口」であり、そのテーマから自然と対話が流れていった結果、全然違う話に展開していくこともあり得ます。
   

「ダイアログ」をする際に、大切なことは「聞く」ことです。「聞く」には2種類あって、一つは「人の話を聞く」。もう一つは「自分の感じていることを聞く」です。

人の話にしっかりと耳を傾ける、聞く。理解しよう、共感しようといった姿勢で、いわゆる傾聴をする。そして、人の話を聞いているときに、自分の心がどう動いているかにも耳を傾ける。ザワザワしている、イライラしている、嬉しい、感動してる…など、自分の心の動きや思考をよく観察する。

この二つの「聞く」が非常に重要で、この二つの聞くが織り重なっていくのがダイアログというイメージを持っています。いいダイアログの時間にするためのポイントは、後述でより詳しく解説します。 
    

科学的な思考の弊害と限界

ダイアログと量子力学

ダイアログ、という言葉が特別な意味をもつスタートとなったのは、物理学者ボームの「ダイアログ」が元祖かと思います。物理学者が元祖というところが一つ、ダイアログを象徴しているかと思います。ボームは、量子力学の研究者でした。量子力学は「存在は、関係性の中でのみ存在する」といった考え方をします。

私たちは普段、個というものを普通に認識しています。紙は紙で、ペンはペンです。ペンそれ自体は、ペンとして独立して存在している、と認識しています。

しかし、量子力学的にはペンは単独でペンとして存在しているわけではありません。これは比喩的な表現になりますが、ペンは、机や、紙や、消しゴムや、書く人という関係性の中に存在している、ということになります。
   

量子力学は、ニュートン力学と対比して説明されることが多くあります。

ニュートン力学では、ある物体はそれぞれ独立して存在しています。それぞれ、独立して存在しているがゆえに「客観的に」説明することができます。

赤い玉が、止まっている青い玉にぶつかり、青い玉が動いた。

このような「客観的な説明ができる」というのがニュートン力学的な世界です。
   

量子力学では、必ず観察者が登場します。上記の現象を、量子力学的に表現するのなら、以下のようになります。

「赤い玉が、止まっている青い玉にぶつかり、青い玉が動いた」という現象を、私は見た。

・・・途端にこれは「客観的説明」と変わってくることを多くの人が感じるだろうと思います。”私”にはそう見えたかもしれないが、そうじゃなかったかもしれない、実は動いたのは青い玉の方で、止まっていたのが赤い玉のほうだったかもしれない・・・などと、考えられる余地が生まれてきます。
    

科学的思考の価値と限界

ビジネスの世界では「主観を排除した、客観的論理性」が重要視されます。データ、ロジック、ロジカルシンキング・・・といったことが重要なのです。それは「科学的思考」と総称しても、それほどズレていないだろうと思います。

科学の素晴らしさは再現性にあります。例えば「アクセルを踏んだら、エンジンが回る。そしてタイヤも回る」というのは、極めて科学的ですし、非常に再現性が高いものです。

科学の発展により、例えば「自動車」という素晴らしいものを人類は手に入れました。設計図通りに作りさえすれば、誰が作っても同じ品質の自動車を作ることができます。キリスト教徒の技師か、黄色人種の技師か、などは関係がありません。

そうして作られた自動車は、誰でも運転することができます。音楽家がアクセルを踏めば自動車は走り、警察官がアクセルを踏んだら止まってしまう・・・などということは起きません。「誰が乗るか」に影響されずに、車は車として走ります。これが科学の素晴らしさです。
   

この科学があまりに素晴らしいので、ビジネスの世界も「できるだけ科学的に」経営されてきました。非科学的なこと、主観的なことは排除され、科学的、客観的であることが重視されてきました。データやロジックが大切とされてきました。

例えば「職人が想いを込めて作った団子」は、ロジカルに分解され、ねり加減、焼き加減などを数値化して、ロボットが全く同じ動きをできるようにして、ロボットでも美味しい団子を作れるようにしました。そして「あなたの意見」といった主観的なことは必要とされずに「市場調査のデータによると、20代の70%がXという味を求めている」といった客観的なデータこそが重要になっていきました。
    

科学的思考を極端に解釈すると「Aをやれ」と言おうが「Aをやって欲しい。頼んだ」と言おうが、関係ないことになります。それを嫌だと思うかどうかなどは、主観のことです。人々の主観など気にしない、ということになります。

自動車は、運転手がイライラしていても、ウトウトしていても、アクセルを踏まれればスピードが上がります。自動車側には「運転手がどんな状態か」なんて関係ない。それが素晴らしいことだとすると、科学的には、上司がイライラしていても、ウトウトしていても、Aという命令をしたからには、部下としてはAを遂行すればよい。

・・・もちろん、この説明にはほとんどの人が違和感を持つでしょう。

人間は自動車とは違うとか、そんなものは科学的思考でもなんでもないとか、実際に「科学的に」人の感情状態は伝播することが実験から分かってきている・・・などなど。
    

しかし上記の説明は極端にせよ、職場から「主観」や「感情」といったものは排除されがちな傾向があったということは言えるかと思います。そしてそれによって職場で働く人々が「人扱いされない」ということが起こってきた・・・ということは多かれ少なかれあるだろうと思います。

これは科学的思考の弊害です。この弊害を感じてきた人たちから、脳科学、心理学領域の研究成果が注目され、EQ/EI、ミラーニューロン感情状態と健康の相関性・・・などが発表され、活用されてきたかと思います。
  

科学的思考の限界は「創造性」を著しく低下させるということです。

科学的思考が、ビジネスの世界でこれほど普及した一番の魅力は「再現性」でした。既にデータがあり、同じことをすれば、同じ結果が得られる・・・という再現性がもてはやされてきたわけです。

しかしVUCAの時代においては「再現性」以上に「創造性」が重要になってきています。本来の科学は、とても創造的なものですが(だからこそ科学的発見などがあるわけですが)、ビジネスの世界での「科学的思考」は、ほとんど「再現性」だけの意味に絞られて使われてきた面があります。

それゆえに、今の時代において限界を露呈してきています。大企業が、新規事業に対して「それは確実に利益が出るのか?」という問いかけをしてしまうのは、まさに科学的思考(の誤用)の限界であり、弊害です。
     

企業組織におけるダイアログの重要性

今後もビジネスにおいてデータや再現性が重視される領域はたくさん残るでしょう。そこでは、科学的思考をベースとしたディスカッションが行われていけばよいでしょう。「主観は要らない、客観的にデータを確認しよう」というようなものです。ニュートン力学的思考の必要性が、VUCAだからといって全くなくなるわけではありません。

ダイアログが重要であるのは、科学的思考、ニュートン力学的思考の弊害に対して、補助・補完してくれるところです。大きく二つの効能があります。
    

1.職場における人間性の回復

一つ目は、職場における人間性の回復です。

排除されてきた「主観」「感情」といったものを、丁寧に取り扱おうとすることがダイアログの一つの特徴です。「私が」「どう感じているか」といったことを、丁寧に取り扱います。このことによって「人として扱われていない」というストレスを大きく減らすことができます。感情状態の健全性が、パフォーマンスに好影響があるという研究結果もあります。(参照「ポジティブ心理学」

また、近年注目されているキーワードである「心理的安全性」を高められることも、ダイアログの効用と言っていいと思います。「私は、親が介護状態になり、仕事に支障が出ないか不安です」といったこと職場で表明出来て、受け止めてもらえる・・・このようなコミュニケーションは、ディスカッションよりはダイアログ、という場面でされやすいものだろうと思います。

会社組織において、適切にダイアログの時間を取り入れることは、「チームビルディング」「上司・部下の関係や部署間での円滑なコミュニケーション」「関係の質の向上」「相互理解」「問題解決」「ビジョン・理念の共有」のような人間関係の悩みやモチベーションに関する悩みなど、さまざまな領域で効果的です。
    

2.組織的な創造的思考を高める

もう一つは、組織的な創造的思考を高めてくれることです。

正解がなく、過去の事例に頼ることができない中で「未来の最善手は何か?」を組織的に検討するには、ディスカッションよりも、ダイアログが優れていることが多くあります。

ダイアログではインスピレーションや直観、といった主観的なことも大切にされます。「私はこう思う」「私はひらめいた」というのであれば、それはそのまま大切にされます。「それにはどんな根拠があるのか?」と問い詰めるようなことは、基本しません。そういったダイアログの場からは、創造的なアイデアが生まれてきやすいのです。
   

ここで「ブレストと何が違うのだろう?」と思われた方もいるかもしれません。質の高いブレストであれば、おそらくそれほど本質的な違いはないだろうと思われます。

但し、強いて違いを挙げるとすれば、ブレストが「思考」に偏っているのに対して、ダイアログは「身体感覚を伴っている」ということが、重要な違いと言えるかもしれません。

今後、生理学や脳科学などの研究がより一層進み、様々な科学的なエビデンスが出てくるかもしれませんが、本当に質の高い創造的なアイデアというものは、「地に足の着いた状態」や「腹のすわった状態」「胸の奥底から出てきた想い」などということと関連性があるだろうと考えます。

ここまでの説明を流用すれば、ブレストは、ニュートン力学的なアイデアが生まれやすく、ダイアログは量子力学的なアイデアが生まれやすい、と言ってもいいのかもしれません。
    

よいダイアログの時間を持つために

職場などで「よいダイアログ」の時間を導入しようとする場合、実際問題としてどのような点に注意するとよいでしょうか。

社外のワークショップなどで、ほとんど利害関係のない人たちで集まった際に行われるダイアログと、社内で普段の人間関係がある中で行われるダイアログとでは、質が違います。ここでは、後者のダイアログを想定して解説します。
  

ダイアログの基本ルール、よいダイアログのポイント

      

1.I(アイ)メッセージを徹底する

ひとつめは、「私は、こう思う」「私はこう感じる」「私の意見としてはこうだ」といった、Iメッセージ的な表現を徹底することです。「こうに違いない」「これしかない」「それはありえない」などの主語を省いた断定的な表現が多くなると、ダイアログが機能しにくくなります。

そもそも量子力学的な考え方からすれば、どの意見も「私の意見」なわけですが、それをあえて「私は・・・」と丁寧に表現するのです。そうすることによって、「私もそう思う」や「私の意見は違うんですが・・・」ということが表現されやすくなります。
    

2.「感じていること」を大切にする

ニュートン力学的なディスカッションに慣れていると「私が」「今何を感じているか」にフォーカスることはほとんどなくなります。考えるのではなく、感じる。自分の感情や、身体状態を感じてみることを、ダイアログでは大切にします。不安を感じている、希望を感じている。疲労を感じている、痛みを感じているなどです。

まず自分自身を「感じてみる」ということ自体を大切にしてみて頂きたいと思います。その上で「感じたこと」を表現する、言葉にして伝えてみる、ということもしてみて頂きたいと思います。

感じることは、大げさに言えば、それがそのまま人間性の回復につながります。もし機械と人間に違いがあるとすれば、機会も人間も「考える」ことができますが、「感じる」ことができるのは人間だけなのかもしれません。

感じていることを表現する際にも、Iメッセージは大切にしてください。「私は、今とても怒っています」とか「私は、感謝の気持ちでいっぱいです」などのように、「私は・・・と感じている」という表現をするように意識してもらえるとよいです。
    

3.違和感を大切にする

同調圧力というものは「場」にどうしても存在していたりしますが、なんでもかんでも「いいよね、そうだよね」と同調圧力に合わせるのではなく、「違うと思うなぁ・・・」「そうじゃないでしょう・・・」などと、違和感を表明したり、違う意見を述べたりすることを尊重します。

自分の意見や気持ちに対して、違和感を表明されたりすると、受け止めづらかったり、傷ついたりすることもあり得るかと思いますが、「ああ、この人は、自分とは違うんだなぁ、違う見え方、違う受取り方なんだなぁ」と、違いを受け止めるようにします。

尊重するは、同意するとは違います。知識が少ないと馬鹿にしたり、意見が違うと耳をふさいだりするのではなく、尊重する。たとえ意見が違おうと、共感できなかろうと、人として尊重して、その人の意見や感情を尊重する、受け止めようとする、そういう努力をすることだと思っています。
   

同調圧力が強くなると、ダイアログは機能しなくなっていきます。「社長がこう言っているのだから変えようがない」「そんな前例はない」などといった、何かしらのオーソリティ(権威)が持ち出され、Iメッセージ(私の意見としては・・・)から外れてくると、同調圧力が強くなっていきます。そうなると、違和感が表明されにくくなっていきます。

逆に言うと「常に、違和感も表現されやすいように」という意識をもって、オーソリティ(権威)を安易に持ち出さないようにしていくと、多様な意見が表出され、ダイアログが深まりやすくなっていきます。
    

4.カオスと沈黙を大切にする

それぞれが、それぞれの思っていることを表明して、収拾がつかない、意見としてまとまりそうもない、というようなカオスのような状態が、ダイアログでは起こったりもします。またそのようなときに「長い沈黙時間」が生じることも、しばしばあります。

この時に、このカオスや沈黙を大切にしていきます。

カオスになるということは、それだけ多様な情報が場に現れているということです。自分一人の観点では、想像もしていなかったような情報が出てきていたりします。

そうなると、それらをどう受け止め、どう解釈したらよいのか、それを消化する時間も必要になります。そういう時に「沈黙」はよく生じます。ちょうど、はじめバラバラだった素材が、煮込んでいくことで、美味しいスープになっていく、そんな煮込み時間として「沈黙」が現われることもよくあります。

無理に沈黙を破ろうとせず、沈黙も一つの時間として大切にすることをお勧めします。
   

5.時間で区切る

ダイアログは「明確な結論を時間内に出す」話し合い方ではないので、極端に言うと、無限に時間をかけていくことができてしまうところがあります。

「あ、もうこのダイアログは終了だな」と、想定していた時間よりも、早くに、全参加者が「うん、もうおしまいでOK」となることもありますが、「まだまだ話したりない」とみんなが思っているのに想定していた時間が来てしまう、ということもよく起こります。

そのようなときは、原則として「時間がきたから終了」とするのがよいでしょう。もしまた対話を続けたければ、別の時間に設定して行うようにするとよいでしょう。その際、すごくスッキリ終わる人もいれば、ものすごくモヤモヤが残った状態で終わる人もいる可能性もあります。どちらもアリとするのがダイアログと思っています。
   

参考

書籍
ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ

ダイアローグ――対立から共生へ、議論から対話へ
著:デヴィッド・ボーム、訳:金井真弓  2007年  英治出版

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手ごわい問題は、対話で解決する

手ごわい問題は、対話で解決する
著:アダム・カヘン、編集:ヒューマンバリュー  2008年  ヒューマンバリュー

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