Vol.36 これまでの経営スタイルに行き詰まり感や限界を感じている(後編)
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今回のご相談内容
これまで良いものとされてきた、もしくは当然とされてきたような経営の手法に対して、行き詰まり感や限界を感じるところがあります。
今まで上手くいっていたものが、何故うまくいかなくなってきたのでしょうか。また今後は、どういった経営スタイルが主軸になっていくのでしょうか。
石川からのご回答
前回の記事では、これまでの経営手法に行き詰まりを感じる社会背景や経営スタイルのシフトが求められる理由を解説してきました。
今回は、私から提示できる「今後の新しいマネジメントスタイルの一つの選択肢」について、ご紹介していこうと思います。
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ヒューマンセンタード・マネジメント
成熟社会において求められる企業のあり方とは、どんなものでしょうか?
さまざまな経営スタイルが考えられますが、Co-ducationでは「人」を中心に据えるマネジメントのあり方、「ヒューマンセンタード・マネジメント」を提唱したいと思います。今回の記事では、「ヒューマンセンタード・マネジメント」の基本概念をいくつかご紹介しますので、参考になりましたら幸いです。
組織の基本設計
これまで:ヒエラルキー構造 / 上意下達
これまでのマネジメントは「命令に従う」ということが前提にありました。
一方で、ヒューマンセンタード・マネジメントでは「人間が輝く」「人間の情熱が発揮される」ということを、組織設計の基本思想として持ちます。「いかに、働く人々の情熱や創造性、個性というものが発揮されるか?」という思想から、組織を設計していきます。
これまでのマネジメントは「計画や命令に、効果的に従う」ことが中心の思想としてあります。経営陣が計画を策定し、現場社員はそれに従って遂行する・・・といった役割分担です。
これは根本的に「やらされ感」を醸成する設計になっています。自分以外の誰かが決めた計画に「従う」ことが、構造上どうしても求められます。
なので、これまでのマネジメントでは、その基本構造の「弱点」を補完するために、
様々な補完施策を打ってきました。
「やらされ感」ではなく「共感」から動けるように、例えば、経営陣がビジョンを、ストーリーで語る・・・といったことがそうです。中間管理職が、現場の意見を吸い上げてボトムアップの流れも持つようにする・・・といったこともそれに当たります。
しかし、基本構造がヒエラルキー構造であり、基本マネジメントが上意下達、評価によるアメとムチである限り、これは「補完策」にしかなりえません。
ヒューマンセンタード:ミッション(情熱)が求心力
ヒューマンセンタード・マネジメントでは、発想を転換し「一人一人が情熱から社会貢献していく」ということを前提にします。
比喩的に言えば、今までは組織(計画)が主で、人間が従であったものを、ヒューマンセンタードでは、人間が主で、組織が従になる、ということです。
これはパラダイムの大転換であり、マネジメントのあり方をガラッと変える必要が出てくるものです。
もし、根本的に「人間、仕事なんかしたくないもんだよな」と思っていたとしたら、もしあなたが社長になったなら、社員を「無理やり」働かせる必要があるように感じるでしょう。そもそも、人間は仕事などしたくない生物なのだとしたら、当然そういうことになります。
「お金のために、生活のために仕方なく働く」ということを前提として「仕事・職場・会社」というものが設計されていくでしょう。
もし根本的に「ほとんどの人間には、人を喜ばせたい、人の役に立ちたいといった欲求があるもんだよな」と思っていたとしたら、その欲求をそのまま仕事にできるような職場や会社が設計されていくでしょう。
そして一人一人の「人を喜ばせたい、人の役に立ちたい」を仕事として成立させる(つまり報酬を得られるようにする)ことに知恵を絞ることにもなるでしょう。
そのような人間観から設計された組織では、必然的にミッション(どんな貢献をしたいのか?)ということが、組織の求心力ということになります。
「美味しいディナーの時間を提供することで、人々に笑顔になって欲しい」というミッションがあれば、「それは、まさに私自身のミッションです」という人達が集まってくる。ミッションに人々が集い、組織になっていくわけです。
もし「そもそ人間は仕事なんかしたくない」という人間観をベースに「会社」を設計していくと、そもそもやりたくないことをやらせようとするわけですから、「メリット」を提示しないといけないということになります。
給料が高いですよとか、オフィスがキレイですよとか、休みが多いですよとか、そういうメリットを提示して人を惹きつける必要が出てきます。
人を採用した後も「基本的に、仕事なんかしたくない」わけですから、アメとムチで管理し続けて、働かせ続ける必要があります。これはとてもストレスですし、「管理コストがかかる」といった面でもマイナスの大きいものです。
しかし、もともと「美味しいディナーの時間を提供することで、人々に笑顔になって欲しい」という想いをもった人たちが集まったできたレストランであれば・・・・「サボらないように管理しよう」といった必要性は極めて低いということになります。
管理する、といったことの代わりに「レストラン」の持続可能性を高めるために「ちゃんとお客さんからも報酬をいただいて、自分たちが生活できるような収入を得る」といったこと知恵を使う、ということになっていくだろうと思います。
マネジメント観
これまで:市場の要請に従わせる
「人間は、そもそも仕事をしたくない」としたら入社した人間を、アメとムチで管理し続ける必要があります。その際の大義名分は「お客様の要望」です。
お客様がそれを望んでいるのだから、それに応えなさい、そうでなければ・・・と脅しながら人を働かせることになります。
お客様の要望、というのは言い換えれば「市場の要請」ということになります。
市場が望んでいることに応えなさい、市場が望んでいることに応えられるのがよい社員で、市場が望んでいることに応えられない社員はダメな社員です・・・・と評価付けを行っていき、外的に動機付けようとし続けます。
ここでは市場の要請に「従わせる」ことが重要になります。
ロンドン・ビジネススクールのゲイリー・ハメルによれば価値貢献の影響が大きいのは
「Lv6情熱」「Lv5創造性」「Lv4主体性」といったことですが、この「従わせる」マネジメントの場合、影響の小さい「Lv3専門性」「Lv2勤勉性」「Lv1従順さ」といったものしか引き出せないことになるでしょう。
参考:経営は何をすべきか
お客様が「早く食べたい」と望んでいらっしゃるのだから、それに応えなさい。提供時間を短くしなさい。提供時間が短い社員はいい社員で、提供時間が遅い社員はダメな社員です・・・というように観察と評価が始まっていきます。
ここで「観察」や「評価」という作業が発生してしまう、ということは重要な分岐点です。
ヒューマンセンタード:1人1人の情熱が市場を創造する
もし「自社の人間は、みんなお客さんを喜ばせたいと思っている」としたら、「その想いを、どう効果的にお客様に届けるか?」がマネジメントの重要な問いになります。
一人一人の情熱(想い)こそが市場を創造していく、と考えているわけです。
「どうしたらもっと お客様に喜んでもらえるかな?」という問いに対して
「調理を簡略化して味を落とすのも違うし・・・」
「走って運ぶ?」
「いや、騒々しくなるのもよくないし・・・」
「メニューに提供時間の目安を書くのはどう?これは時間がかかる料理です」みたいな?」
「おお、それいいね!」
・・・こんな時間こそがまさに「創造性の発揮」だろうと思います。
もし提供時間そのものが変わらなくても、お客様の満足度は上がるかもしれません。
しかし「評価制度の中では「提供時間の短縮」が入っている。それが達成されていないから、評価できない」といったようなことになったとしたら・・・人々の創造性はより一層阻害されていってしまいます。
出典:写真AC
価値に対する認識
これまで:金銭換算できるものがすべて
利益追求をヒエラルキー構造で行っていると「金銭換算できるものが全て」という感じになってきます。
「それは投資対効果があるのか?」と常に問われ、「それは儲かるの?」と常に確認される世界になってきます。まるでお金にならないものには価値がない・・・というよう世界です。
「全て定量化できるし、するべき」
「全て、金銭換算できるし、するべき」
金銭換算をして、金銭的価値が証明できないものは「無駄なもの」とされていきます。無駄なことはするな、ちゃんと稼ぎになることをやれ、というのが「利益追求・ヒエラルキー構造」組織の基本的なパラダイムです。
そうなってくると、例えば極端な話「あいさつ」はどうなるでしょうか?
「おはようございます!」という気持ちの良い挨拶、これは利益に貢献していると証明できるでしょうか。証明できないのだとしたら「無駄」だということになります。無駄であれば削ぎ落さなければいけません。
「おはようございます」に使う3秒を、年間200日使っていたとして、600秒、10分の「無駄な時間」が削減できます。時給6000円計算なら、1000円のコスト削減ができます、100人の社員がいるので、年間10万円のコストダウンです
・・・・こんな風になるのが「金銭換算主義」です。
これは笑い話でしょうか?
しかし「おはようございます」を削減する・・・は極端にせよ、似たような構造はそこかしこにあるのではないでしょうか?
少なくとも「それは費用対効果的に、プラスなの?」と確認するということは多々あるでしょう。そうして例えば「大事だと思われるが、金銭価値が証明できない研修がなくなる」などということは普通に起こることです。
ヒューマンセンタード:金銭価値は価値の一部分
ヒューマンセンタードでは、金銭価値は、価値の一部分であると認識します。全てのことが金銭価値に換算できるとも考えませんし、その必要もないと考えます。
また、ヒューマンセンタードでは、「主観」も大切にされます。本人が「よい」「嬉しい」「幸せ」「誇らしい」などと“感じる”ことも重視します。
主観ですから、共通尺度になってなく「その人しかそう感じない」ものがあるということも前提とします。(但し、組織としてどこまで許容するかについては議論が必要です)
例えば「取引先のちょっとしたミスに付け込んで値下げを突き付ける」といったことがあるとします。これは「金銭価値」のみで判断すれば、もちろんやるべきことになります。(少なくとも短期的にはそうなりますし、金銭価値換算の計算は、短期的なものほど確実性が高まる傾向にあります)
しかし、例えば「誇らしさ」といった点からすると「そんな仕事はしたくない」ということもあり得るだろうと思います。そこで「お前の誇りなんて金になるのか?」と問うのは、金銭換算主義です。
ヒューマンセンタードでは「その誇りと利益と、ベストな判断は何か?」という問いになります。
そうなってくると、先ほど出てきた「気持ちよい挨拶」といったことへも、対応が変わってきます。それをするかどうかは「儲かるかどうか」だけでなく、人間が総合的に判断する、ということです。
この「人間が総合的に判断する」ということが、まさにヒューマンセンタードの中核的な世界観である、ということになります。
いかがだったでしょうか。
ヒューマンセンタード・マネジメントについては、今後メルマガやHPなどでより丁寧に発信していきますので、これから求められる新しいマネジメントのひとつとして、「自社に合うかも」「自分好みかもしれない」と感じられた方は是非、他の記事もご覧いただけましたら幸いです。
いつも最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
[Vol.36 2020/06/03配信号、執筆:石川英明]